2017年02月12日

家計の見直し

最近我が家の家計を見直しております。
というのも去年仕事復帰してからは何とかやりくりできるだろうと楽観視していましたが、儲け重視を辞めたことや、新しい取り組みとしてワークショップなど今すぐの収入に直結しない仕事が増えたために、それらがストレートに家計に影響しています。
このままでは赤字続きでいずれ貯蓄が底を吐く可能性があるので、食費を抑えることにしました。
今まで僕の「治療モード」の食事にかなり食費を掛けていました。
国民年金を一時減額し、保険の解約、妻の奨学金返済の一時停止、などをして出来るだけ食費に集めています。
ちょっと暗い話で済みません。
体質改善のための休業期間の資金として、事業用に借りていた資金を利用できたのですが、その返済もかさんでいます。

普段の生活は質素ですが、食費はセレブ並みに掛かっていましたので、出来るだけ実情に合わせ赤字にならないようにしていきます。家計も立派な経営です。

家計を見直しながら妻と考えを交換し、意見の違いから過去にもたくさん衝突しましたが、それをマイナスに捉えるのではなく、もっと同じ気持ちで向き合い力を合わせたいと自分が思うことで、良好な関係になったと思います。
今回の家計の見直しは夫婦の関係を見直す良い機会にもなりました。
結局は自分の気持ち次第で何度でも好転出来ます。相手が理解しないからこちらも理解しない、「鶏が先か卵が先か」にこだわるのではなくではなく、いつまでもこんなこと(衝突のたびに理解し合えない)している場合じゃないと気持ちをその都度改めることで、夫婦関係が少しずつ良い方に傾くと思います。

家計の削れるところを探していると、世界的にみると裕福な生活をしているとはいえ、それが当たり前だとなかなか削ることは難しいと痛感します。
住居、車、食費、日用品、娯楽費、水光熱費、年金、税金その他、節約は出来ても最低限必要ですし、結局自分の住む場所の基準によって削れる許容量が変わるように思いました。
車の所有など一度その基準が当たり前になるとそれを捨てるのがいかに難しいかが分かります。

まだ子供にお金が掛からない時期にヒイヒイ言ってます。
稼ぐためには夫婦関係が肝です。
posted by 秋田 学 at 12:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月08日

書評 それでもあなたの道を行け: インディアンが語るナチュラル・ウィズダム

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自分の好きなインディアンから生き方を学ぼうと思い、その手の本を読んでいます。今回3冊目になります。

この本の解説にあったのですが、先住民の言葉から英語に翻訳される過程、そして後に日本語に訳される過程で、その言葉に含まれる意味が少しずつ消えてしまいます。それを理解した上で読んで下さい、とのことでした。

この本には自分にとって新しい考えがいくつか書かれていました。
その中で心に響いたものを備忘録として記しておきます。
文は多少短く端折っています。


【円環(サークル)】

「全てのものが円を描いている。
自分自身の行いも円を描いて戻ってくる。
天空も地球や多くの星もボールのように丸い。
風は渦を巻く。
太陽も月も円を描いて昇り沈む。
季節でさえ変化しながら大きな円を描く。
そして季節は必ず自分のいたところに戻ってくる。
人の命は子供から子供へと繋がる円をなしており、
こうして円環は、力の働くあらゆるものに見られる。
ーーーーーーブラック・エルク」

自分の行いが回り回って自分に返ってくるということは自然の摂理だということがわかりました。



【7世代先】

「まだ生まれていない世代の人々が私たちよりも悪い世界で暮らさぬよう、いつも7世代先の人々のことを念頭に置きながら決め事が行われる。」


これはインディアンの有名な考え方ですが、大切にしたいです。自分の行いがいくら現世で役に立っても、後世に全く役に立っていなければ虚しいです。
世代を超えて俯瞰する大切さがわかります。



【平和】

「最初の平和は自分の中に生まれる。それはいたるところにあって、一人一人の内部にある。これこそが真の平和。次に2人の間の平和、その次の部族の間の平和がある。これらの平和は、この真の平和を知らない限り実現しない。ーーーーーーブラック・エルク」


完全には理解できていませんが、おそらく自分の心の中までは誰にも邪魔することはできないということ、逆に言えばいくら周りが平和でも自分の心が荒んでいては平和を感じることはできない、ということだと思います。


【経済】

「昔は治療から一切の報酬を受けていなかった。ところが我々のあいだに、支払いとか取引という考えが入り込んで、病気を治すのにも、高額な贈り物や代金が要求されるようになり、飽くなき貧欲や競争心が生まれ、治療の場から道徳心が失われていくことになった。」

「経済や技術が白人たちを手助けしているとしても、平等の原則を用いないならば、経済や技術によって滅ぶだろう。原則を用いない目先の利益や損失など未来の世代にとってはなんの意味もない。」


【人の立場】

「我々は彼ら(他の動物)のことを忘れ、人間が超越した種であると思い込んでいる。しかし、我々など結局のところ、創造物の一部に過ぎない。山とアリの間のどこかに場所を得ている。我々は他の者たちの面倒を見るための心が与えられている。自然の物質や動物たちや鳥たちは、恩寵(おんちょう:神の恵み)の中に生きている。彼らは悪事をなさないが、我々は兄弟である自然に対して、あるいは他の人間に対して悪事(自然に反すること)を犯すならば、創造物の神の目から見て最悪なことをしでかしていることになる。」

「木や果物も、動物たちも、今も変わらず同じ生き方を守っている。人間に与えられた生き方とはなんだろう?そこには生命があり、円環サークルがあり、はじまりも終わりもない尺度がある。」

「過去に学び、過去に従うことで私たちはこれからもずっと大地に住み続けることができる。」


所詮ひとは自然の一部でしかなく、身の程をわきまえることが自然の一部である自分たちのためであるという警告だと思います。


【命】

「命とはバッファローの吐息、ホタルの光、横切る虫の羽音である。」

どれも命であり、それ以上でもそれ以下でもないということでしょうか。はかないものともとれます。


【白人】

「白人の宗教は1つの本に書かれているのに、人々は意見が違う。」

「宗教は力であるのに白人のそれはいさかいを起こしている。」



【パラダイム】

「我々は「なぜ」を聞かない。相手の言うことに耳を傾け自分で理解する。「なぜ」は聞いていない証拠。
そうすれば相手がなにか理解(宗教)(考え方)を持っている事は当たり前で、自分を知り、互いの理解(宗教)『考え方)を分かち合うこともできるようになる。」


人それぞれパラダイムがあり、相手の話を傾聴することで理解に徹するという「7つの習慣」と同じことを言っています。



【尊敬】

「もし全ての人が、他の人のためになにかをしてあげるようになったら、この世に困っている人など、いなくなってしまうでしょう。ただ身近な誰かを助けてあげればそれで充分。」

「女は歳をとれば力もなくなり働けなくなる。おばあさんがいるからこそ孫たちもいることができるのだから、おばあさんを優しくしないのは間違っている。」

「私たちは互いにいたわりあうように教えられました。互いに尊敬しなくてはいけません。自分のことに気づかぬように、他の人のことも気づかってあげるのです。それをしている間は困った問題は起きません。しかし隣人を憎み、隣人の持ち物を盗み、彼らに嘘をつき、自分で食べ物を作らず、他人の作った食べ物に頼って生きるようになると、そのとたんに私たちはバランスを失います。」

「大地は全ての人間の母だから、人間がその上で平等なのは当然のことだ。人間はみな兄弟だ。」

お互いを尊重することは自分のためでもあると思います。
円環にも通じる話です。


【問題】

「どんな乗り越えがたき問題にぶつかっても、あの山のてっぺん(死ぬこと)より低い。どんなことがあろうとあの山のてっぺんを見ろ。わしらがいつかまた出会うとしたらあの山のてっぺんでだろう。と言って次の月にこの老人は亡くなり、その意味がわかった。」

自分一人の悩みなど所詮ちっぽけなものということだと思います。


【怒り】

「心配、怒りは良くない癖だ。罪を犯す人は病気になる。悪い考えを抱いているからだ。
幸福はそれ自体が良いことであるばかりか、健康にもとても良い。」

円環にも通じる話です。


【在り方】

「人は霊性について学びたいという気持ちが強過ぎるあまり、自分の目の前に差し出されたものに、良し悪しも見定めずに飛びついています。しかし自分がなにをしているのかちゃんと理解していないと、実際には自分自身を傷つけることになるでしょう。自分自身の原点から学ぶのです。そうすれば、自分自身のなかに秘めている霊性のありかにたどり着くことでしょう。ーーーーーーブラック・エルクの孫娘」

目標よりも在り方・自分らしさの方が大切だということかと思います。


《全体の感想》

インディアンの言葉から自然の摂理や知恵を知ることができました。彼らはとても理想的なところで生きていることが感じられます。

経済社会に生きる自分にとっては、お金を介して各々が得意な仕事に専念でき、それによりそれぞれの分野で発展した便利なことを享受していますが、便利さで言えば理想的な生活かもしれませんが、経済競争によって道徳心が失われ易くなったり、人同士や動植物・自然との繋がりというか思いやりが粗末になり易くなります。
この社会を今更放棄するのは不可能だと思いますが、
行き着く先は自然の摂理に則した循環型の社会であることは明白であり、
自然界に近い位置に身を置く彼らの生き方から人のあるべき姿を学びながら形は違えど考え方・生き方の指針にできたらと思います。
個人的には、表現は質素だけど本質を突いたことが書かれており、とても良い本だと思いました。

posted by 秋田 学 at 05:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする